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その9


核家族化から核分裂へ

●世帯分離は新家族の誕生

 戦前の大家族社会が崩壊し、親と子を単位とする核家族世帯が増加した戦後から、さらに新たな世帯分離が進み、核分裂の時代に突入している。
 戦後、大都市への人口の集中と次男三男の世帯分離で核家族化が進んだ結果、世帯数は急速に増加した。大家族の割合は確実に減少し、六人以上世帯の割合は戦後すぐの1950年(昭和二十五年)の38.4%が、四十五年後の1995年(平成七年)ではたったの6.3%となり、これまで家族の基本単位とされていた夫婦と子供で構成する核家族がさらに小さく分裂し始めている。

 戦後一貫してのびてきた夫婦+子供二人を単位とした四人世帯は1980年(昭和55年)頃をピークに急速に減少し始め、引き続き延びている三人世帯と肩を並べるようになってしまった。厚生省が1997年5月5日(こどもの日)に発表した「まもなく一人っ子世帯が二人っ子世帯を越える」との報告も、まさにこのことを指摘している。さらに単身や二人世帯の増加は著しく、ここ10年で見ると単身世帯も二人世帯も毎年5%程度の高い伸びが続いている。現在でも半数の世帯が単身か二人世帯であり、さらにこの勢いが続けば10年後には二人以下の小家族が60%をしめるようになり、核分裂の進んだ西欧諸国と肩を並べることになる。

戦後の世帯人員別世帯数の変化(国勢調査・普通世帯)

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 岩波新書「フランスの家族事情」(浅野素女著)によると、夫婦別居が常識化している社会が一般化しており、子と片親の組み合わせの世帯が増えているという。離婚しているのではなく、各々の自立した生活を尊重しあっての結果だという。なんとなく日本的発想で思うと「子供の教育に問題が・・・。」となりそうだが、父と母の役割は同居しなくても相互に分担しており、個人の人格を基本とした生活を尊重することを前提としており、子もそれを苦にしなくて良い環境が整っているようである。最近の日本社会でも母子世帯は多く、「嫁に行って子連れで戻ってきてくれたら」と娘を嫁がせた両親の思いが現実化しているご時世である。日本がフランスに近づくのも時間の問題かもしれない。

●長男の形骸化

 戦後の世帯変化の中で最も特徴的なことは、長男が後を取る家父長制の急速な崩壊だったように思える。農村文化から都市の文化への変化は多くのサラリーマンを生み、農地に固執した家制度を担う子供が減少した。都市に職を求めて集中する人々は、次男三男の丁稚奉公的な就職形態から、戦後復興の担い手である第二次産業への労働力として大都市への移動に加わっていく。そして、さらに長男までもが大都市への人口流入の波に飲まれていった。

市部と郡部の世帯数推移比較(国勢調査)        

2.gif  1950年(昭和25年)の朝鮮特需に始まり、1956年の神武景気、1959年の岩戸景気と次第に日本の経済力も改善し、産業の拡大と共に大学進学率も高くなるにつれ、若者の大都市への移動は常識化してくる。特に戦後のホワイトカラー信仰は長男といえども大都市の企業にとの親の思いが、集団就職や大学進学という名の下に世帯分離とともに都市集中に拍車をかけてきた。何時かは戻ってきてくれるとの思いを残しながら旅立たせた長男は、やがて企業と嫁の人となってしまい、決して親の元には戻らなかった。そしていま、こうして都会に出た子世代がさらに分裂する時代に入っている。

 この所、急速に単身世帯が増加している。団塊世代の子供達が社会人となり始めたことが大きな原因であるが、当分の間、単身世帯の数は上昇し続けると想定される。こうした傾向は、団塊世代の子供達が独立する今後10年ほどの間は続き、その後は総人口の低下もあり安定すると考えられるが、単身化は一つのライフスタイルの現れであり、独り住まいを選択する意志によって生まれる。幸い住宅は余っており、家賃も安定して、青年が独立した生計を営むことは可能な時代に入っている。だから、いつまでも親元にいる必要も無く独立するのが普通になっている。最近の子育ての終わった親は若く、50歳代で子育てを終われば、後は自分達に投資する悠々自適の第二の人生をと考える時代でもある。

 戦後の核家族化は、地方から大都市に人口が集中する若年層が結合して核家族化が進んだのに対して、現在の単身化や二人世帯の増加という核分裂は同一都市圏での世帯分離が主な理由となっている。勿論、山村部からの若者の都市集中は未だにあるが、それによる世帯増は都市内での世帯分離には及ばない。今では中核都市の殆どの中心市街地で、狭く老朽化した住まいに親を残して郊外に移る子供も多く、インナー地区の空洞化による世帯分離が社会問題化してきている。つまり、都市への集中とともに若者のドーナツ化現象が都市問題として位置づけられ、都心部の高齢者の顕在化問題とともに都市再生の課題とされている。これも子世代との世帯分離が原因であり、解決しなければならない課題である。

●「持ち家が庶民の夢」の終焉

 大都市に出た若者は、1968年(昭和43年)のイザナギ景気を迎えるあたりで持ち家取得に動き始める。1968年頃から1969年頃にかけては通勤距離内では手に入れられなくなった戸建て住宅からマンション取得へと意識が移り、第二次のマンションブームが始まった。1970年(昭和45年)のマンションへの初の金融公庫融資が追い風となり、今では狭すぎる30〜45平方メートルの公庫付きマンションが供給され始めた。当時は「三食昼寝付き」の主婦業がもてはやされ、「3C時代」として自家用車、クーラー、カラーテレビが庶民の現実的なあこがれとなった時代である。世帯主の年齢は30才代から40歳代、郊外の公団分譲マンションか100平方メートルにも満たない土地のミニ開発戸建て分譲住宅が庶民の夢の持ち家になった。

 1997年の今、当時の世代は50歳代後半から60歳代後半にあたり、その後のオイルショックの大インフレで借金の値減りした世代でもある。だから、「狭いながらも楽しい我が家」を手に入れてから5年も経つと、子供の部屋も欲しくなり、当時の住まいを転売して、広めの戸建て住宅やマンションを求めて移転できた。結果として子供が成人すると、比較的若いおじいさんおばあさんは、さらにバブルの地価上昇で持ち家の資産価値が増えた資力を背景に、離婚した娘と孫を支えることのできる世代でもある。

持ち家世帯率の推移--全国(住宅統計調査)   

3.gif  ところが、狂乱物価が襲った1973年(昭和48年)の第一次オイルショック以降に住宅取得した人は、インフレ期待を抱きながらもその恩恵には預かれなかった世代でもある。その後は1979年(昭和54年)の第二次オイルショックまでに住宅価格は跳ね上がり、さらに地価の上昇は住宅取得を困難にしたが、通勤時間を犠牲にしても手に入れたい持ち家への願望は強く、狭くても持ち家をと持ち家率を急速に引き上げた。今の世代に直すと50歳代前半から60歳代前半の世代に相当する。

 第二次オイルショック以降は地価の上昇が止まらず、土地神話がまかり通っており、宅地分譲も通勤時間2時間を当然のものとしてしまった。あきらめてマンションを購入しても、職住近接のマンションは地主とディベロッパーとによる等価交換方式の分譲マンションで、子育て環境など生活環境の整ったものは少なかったし、戸建て住宅も遠距離通勤かミニ開発の建て売り住宅が中心であった。ちょうど、団塊世代が持ち家取得を計画し始める頃で、1985年(昭和60年)から1987年(昭和62年)に急速にマンションブームが起こり、バブル経済の地価暴騰と暴落でようやく住宅取得は沈静化することになる。

 バブル経済は「持てる者と持たざる者」を区分してしまったが、さらに購入の機会を逸した世帯や若い世代を対象に、金融機関のバブルの付けを埋め合わせるための低金利を背景に、必要な住宅ではなく買える住宅を買わせる戦略が繰り広げられた。一次の急騰した価格から下がったとは言え、まだまだ高い地価を背景に、「市場最低低金利だからこそ買える住宅」と銘打って売り続け、30歳代前半から40歳代前半の比較的若い世帯は高額なローンを組んだ。生涯転売の出来ない資産を抱えることになり、バブルのつけを背負わされ、さらなる返済不能者を作り出している。すでに大都市への人口集中も安定期を迎え、住宅の余剰は世界と比較しても多い状況の中でである。さらに大都市集中は飽和しており、住宅ニーズは住み易い中核都市に移動している中で今さら・・・。

●都市居住の魅力

 週休二日、週40時間労働が当たり前になって、余暇の過ごし方を積極的に考える状況になれば、通勤時間がきわめて無駄に見えてくる。労働時間にフレックスタイムの採用や夏時間制を採用したいとの願望も現実のものになってくる。会社が終わった後はアスリートに変身してテニスに、スイミングへと一汗流す。仕事の臭いを洗い流し、少し雰囲気を変えて食事を楽しむ。映画館や劇場に足を運び、あるいは英会話スクールで自らの研鑽に勤しむことになる。余暇時間の増加と職住近接を前提にしないと味わえない豊かな時の過ごし方である。

持家・借家世帯の通勤時間(平成5年住調)      

4.gif  オイルショック以降、持ち家世帯には職住近接が遠のいてしまった。それはバブルの崩壊とともにさらに状況は悪化した。ところが、借家世帯は職住近接をさらに身近なものにしている。1988年(平成5年)の住宅統計調査ではオイルショック以降に持ち家取得した世帯の2割が、1時間以上の通勤時間をとられており、徐々にではあるが事態は悪化している。

 その反面、借家世帯の通勤時間は減少し続け、最近の借家ニーズは職住近接が高まる傾向にある。持ち家が必ずしも生活時間の豊かさを生んでいないことがわかるし、借家居住が積極的に職住近接を選択し、生活を謳歌していることが、持ち家世帯とのギャップを産み始めていることもわかる。

 特に若い世帯は職住近接を望み、郊外の親の家を出て独り住まいをするのも、時間を有効に使いたいとする願望の現れである。借家居住では子育ても難しく、結婚も遅れがちになり、結果的に晩婚化と少子化が重なって見えてくるが、こうした若者の意識は、持ち家を持たずとも、都市を楽しむボヘミアンとしての生き方でもある。そして彼らの多くは長男長女時代の申し子であり、自らの努力なしで何れ親の持ち家が手に入る世代でもある。

●住み易さが人を呼ぶ

 住み易さが人を呼ぶ時代になってきた。高齢者に対する介護や支援体制の整った自治体には各地から高齢者が集まってくることが話題になっている。同様に、住み易いところは人口が増えているがそうでないところは減少している。山村から都市に人口が集中したように、今は、都市間の移動が進んでいる。これは県庁所在地などの中核都市も同様で、県都といえども人口減少の憂き目にあう都市もある。人々はより豊かな生活を求めて住処を移住する時代に入っている。

 地方自治体も日本全体が工業都市から生活都市へ変化する課程の中で、市民が居ないことに対して危機感を感じ始めた。山村の過疎地もさることながら大都市東京の中心部もドーナツ化現象で厳しい状況がある。定住ままならずの江東区のように「新婚さんいらっしゃい」と家賃補助をしてみても子供が出来たら転居してしまう始末にあわてて子持ちファミリーへの支援体制に切り替えたり、ビル建設に住宅の付置義務を義務づけても、生鮮食料品の店さえない都心地区では生活自体が成り立たないなど、矛盾を残しながらも定住人口の定着に躍起となっている現状がある。

 

 人々は大都市より中都市に目が向いている。大都市の求心性は次第に弱まり、中都市の勢力が顕在化し始めている。大都市の規模は相変わらず大きいが、都心と郊外という構図での人の動きから、郊外の衛星都市相互での人の動きが、さらに地方の中核都市と周辺都市との関係が強まり始めている。情報網が発達し、大都市との繋がりは保ちながらも地方都市で居住する人々が増えている。

市部の規模別人口推移

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 住宅事情が逼迫していない中核都市への希求はUIJターン現象という動きに見られるように、真に居住の豊かさを求める人々の動きに起因していることを見逃すべきではない。大都市居住では必ずしも豊かな生活を確保できないと考える人が増えている。地方都市で持ち家を都考える人は多く、地方転勤の勤務地で持ち家を持ち、逆単身赴任をするケースも多くなってきた。現状の制度の中ではやはり持ち家居住が優遇されていることを考えると、地方都市を基盤とした持ち家での生活が現実的で、住み易さの単位としてのまとまりもある。

 今後、通信手段や高速交通網が一層発達し、情報処理や生産手段の向上が確実に進むと考えられ、地域間格差も是正されると、必然的に在宅勤務も多くなり、求心性を持った大都市はその機能を必要とせず大都市としての位置づけを失うときが来る。人々の生活は中核都市をベースとして完結し、大都市の機能は分散して個性的な中核都市が誕生する。個性的な都市同士がネットワークで結束し大都市機能を補完する時代が来る。
 あたかもコンピュータがそうであったように・・・。

●高齢化、少子化に狼狽えるな

 高齢化先進国の北欧諸国では少子化が止まりつつあるものの、非摘出子の急増が社会現象となっている。女性の社会進出が進み、育児への社会保障が充実した結果、結婚という制度での夫婦関係を持たなくても子育てが可能になり経済的に生活が可能になっている。フランスの手厚い育児手当、スウェーデンでの育児支援の収入保障などが充実し、デンマークでは新生児の半数が父親の定まらない出生であるという。日本での婚外出産の現状は全体の6%程度であるが、これも年々増加の傾向を見せており、家族に対する考え方も次第に変化し、高齢化社会の進展と共に家族の核分裂への動きが速まるのではないかと考えられる。子育て後の女性の社会進出をきっかけに、別居や熟年離婚も増加する兆しを見せており、ますます核分裂を引き起こす引き金が増えているようである。

 バブル経済後の社会状況は、決して揚々とした時代ではなく、一人で生きることに目覚めたかのように見えた単身女性も生涯を独りで生きる勇気は持てず、結婚を考えるようになっている。しかし、育児から教育にかかる費用を考えると、子を持たない夫婦、いわゆるディンクスも増え、子を持ったとしても一人っ子で、都心に住みながら共働きを続けるデュークスも増えている。その結果、合計特殊出生率も下がり、少子化は依然として止まる所を知らないで進行中である。

日本の人口推計(1997年1月国立社会保障・人口問題研究所)
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 子供の人口は減り続け、反対に高齢者の人口は増え続けており、さらに15〜64才のいわゆる生産年齢人口も減少し始めた。日本の人口は三竦みの状態に入っていることは最近富に耳にする言葉であるが、このところの就職難の状況、就職しない若者の増加、高学歴化、女性の社会進出と晩婚化、元気な高齢者の増加、高齢者の資産増、離婚率の増加、婚外出産の増加、住宅の空き家の増加、若者の独居の急増、コンピューター革命、情報通信革命、FA化、OA化、超高速交通網の発達・・・とキーワードで考えてくると一つの方向に結びついてくる。

 生産性の向上は労働力の減退をカバーして余りあるパワーがあり、必ずしも衰退に結びついていないし、少子化は女性の地位の均衡化と社会進出の裏返しの流れであり、住宅事情が改善され在宅勤務などの普及で通勤事情が改善されることがわかっているので、必ずしも景気の減退や高齢化による負担要因のみがクローズアップされるものではなく、福祉施策も交えて支援すれば、自ずと出生率も向上すると考えられ、少子化そのものが問題にはならないと考えられる。

 「安易すぎる」と、お叱りは覚悟で言いたいのだが、無駄な労力を惜しみ、必要以上の消費をせず、時を大切に豊かな居住を求めることで、日本の明日は決して暗くはならないと考えている。減反続きで農地も余っており、就職が出来ないほど労働力も余っている。高齢者は元気で持ち家が殆どで貯蓄高も高く、子連れで戻ってくる子供への支援も喜んで出来るほどになっている。精算現場はロボット化が進んで労働力の効率化を進め、パソコンの普及は事務処理時間を急速に短縮した。通信手段はパーソナル化し、営業マンも会社に詰める必要が無くなった。実際、週休2日が苦もなくできた背景にはこうした革命的な進歩がある。そしてこの革命は今始まったばかりなのだから、今後の高齢化や少子化の波に十分太刀打ちできるものと考える。

(秋元孝夫)


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