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その7


ヨーロッパと日本

〜 「住宅と鉄道の比較文化論」

●ヨーロッパの鉄道には改札口が無い

 何度かヨーロッパの鉄道を利用していて、気になっていることがいくつかある。その一つが駅に改札口が無いことで、今まで、ポルトガル、スペイン、フランス、イタリア、オーストリア、オランダ、ベルギー、ドイツで鉄道を利用したが、どの国でも改札が無い。ホームには自由に出入りでき、ホームに連続する構内の肉屋や魚屋で日常の買い物が出来る駅もあり、日本的常識を持った私には唖然とさせられるばかりである。ヨーロッパで鉄道を利用するたびに、そもそも改札口がなぜ必要なのかと思わされるし、それが当たり前になっている日本的常識が不可思議にも思えてくる。

 日本では改札口でのチェックと車内での検札が二重に行われている。長距離特急では、車掌がまめに座席の埋まり状況を記録し、途中停車駅で乗車した人の乗車券を席に赴いて確認している。いわば不正を防止するための二重三重のチェック体制である。ところがヨーロッパでは車内の確認だけで、乗降時の確認はない。あえて言えば全席指定の新型特急などでのボディチェック時に確認することはあるが、基本は乗り降り自由である。だから、不正乗車は厳しく罰せられるし、個人責任が社会的前提になっている。

 最近になり改札口の自動化が都市部で進んでいる。特に近距離鉄道ではキセル乗車の防止やリストラでの人員削減の目玉として自動化が進んできた。結果としてますます改札システムが強化されている。ヨーロッパでもアジアの近代都市でもアメリカでも、地下鉄や近郊都市を結ぶ高速交通鉄道では自動改札が取り入れられ始めている。大きな流れは人員削減に有効で不正を防止しやすい自動改札口を設ける方法が世界的に広がりつつあるが、ヨーロッパの改札システムは個人責任が基本になっている。


●聖蹟桜ヶ丘駅のノーマライゼーション化はこうしたら出来る

 ヨーロツパの改札口に関連して、日常利用している京王線聖蹟桜ヶ丘駅で思うことがある。
 改札口が自動化され、各ホームに上がるためのエスカレーターが上り下りホームともに設置されているのだが、ホームへの昇り方向のみで、さらに改札口から数段の階段を昇ったフロアまではエスカレータは無いのだから、結局ハンディキャッパーの役には立たっていない。そこで京王電鉄は考えて、苦肉の策だろうと思うのだけど、階段横の壁を利用して車椅子専用の昇降レールを設置した。

 しかし残念なことに、それを利用するためには駅員の協力が必要で、車椅子の人が他の人に遠慮せず一人で自由に使うことは出来ない。結局、車椅子利用者にとっては設置前までの駅員の介助によるホームへの移動と基本的には変わらず、ただ駅員の力仕事がなくなっただけで、ハンディキャッパーのためには全く改善されていないのだ。ましてや、松葉杖や他の障害の人の利用も気軽に出来ないので、未だ使用されているのに巡り会ったことがない。

 何とか自らの力で駅を利用したいと考えて、知恵のあるハンデキャッパーは、ホームから直結しているデパートへのエスカレータを利用し、デパートのエレベーター経由で地上に降りる方法を編み出しているが、エスカレーターが使えるのはデパートの営業時間に限られ、また降車専用の出口のため、この方法にも限界がある。

 結局、ハンディキャッパーの自由な利用はエレベータに限る。車椅子も松葉杖も妊婦も高齢者も、自分の意志で、自らの力で自由に利用できる昇降機はエレベータである。エレベータでなければノーマライゼーションは成り立たないしバリアフリーなんてあり得ない。もちろんエレベータよりも良いものがあればいいが、今の所それ以上のものがない。

 何とかエレベータをつけるすべはないかと無い知恵を絞ってみると、改札口を入ってからは難しいが、各ホームへ直結する昇降機なら西側のコンコースに設置することが可能で、これは妙案と思ったのだが、改札システムが邪魔。ヨーロッパのようにホームに自由に出入りできれば聖蹟桜ヶ丘駅のバリアフリー化も可能なのだが・・・と思うと、余計、現在のシステムが不自由に思われてくる。急に改札制度を変更できないものだとすれば、エレベータを昇ったところに自動改札機をつければいい。改札口への人材配置は高齢化社会を背景にワークシェアリングを進めるには絶好の働き場の確保で、必ず1人以上の人材が必要となっても居眠りの出来る高齢者の働く場で経費は抑えられるはずである。などと実現のための方策を考えてみるのだが、基本的に「人への優しさ」が足らない日本的制度優先の仕組みに問題があるのだと思ってしまう。


●全てが自由席で全てが指定席のヨーロッパ鉄道

 ヨーロッパで鉄道を利用するには、まず目的地までの切符を買うことから始まり、列車の発着ホームを掲示板で確かめ、滑り込んできた列車に乗る。1等2等の区別があるが私の場合は常に2等で、国内移動のみでなく国境を越える急行や特急列車の場合も指定席を買わないで飛び乗るのだが、そんなときに不思議に思っていたことの一つが、座席に貼っているタイプ文字のラベル。

 各座席の上やコンパートメントの入り口にプラスチックケースが貼ってあり、中にタイプ文字で予約者名と駅名が書いてある紙が挟み込まれているものとないものがある。○○○○−××××と書いてあるものは○○○○さんが××××駅までは予約済みですよという意味である。だから刻印のない場合はもちろん、予約されていても、座席に人がいない場合や予約区間以降は自由にお座りくださいということになる。

 予約を受けて、誰かが座席に刻印するわけだから予約は前もってする必要がある。ただ、最近の新型特急などでは全席座席指定や、日本のように乗車券の記載のみで予約をする場合もあり、少しづつ合理化されているが、日本と同じような指定席車両と自由席車両の区別は無い。全てが自由席であり、全てが指定席でもある。だから、日本のように自由席車両は混んでいるが指定席車両はガラガラ、あるいは反対の状態になるという状況は発生しないし、自由席車両と指定席車両の座席のグレードに差を付けようなどという議論も起こらない。旅行シーズンで込み合うときは、全てが予約で埋まる場合もあり、ニーズに対して柔軟に対応できるシステムがある。

 また、グレードの差は1等と2等があるが、日本のグリーン車両より価格差も少なく車両も多い。多くは1等と2等が同一の車両で二分されており、一つの列車に分散して配置されている。だから、ホームのどこにいても乗車に不便はない。それに1等は特別の特権意識はなく利用されているようで、正装したときは1等に、普段は2等とその時々で使い分けているらしい。

 ところが日本のグリーン車は高額の負担を強いる。日常利用する普通列車では短距離は割高になり、50キロメーター以内では普通運賃のほぼ同額が必要になる。ヨーロッパでは国によっても違うが概ね普通料金の1.5倍から1.6倍が相場で、国によって異なるが特急や急行料金の不要な場合が多いことも併せて比較すると、日本のグリーン車両は特権階級の乗り物となる。実際、自前でグリーン車に乗る人はお金持ちか、社用族、そして有名人というところであろう。ちなみに私も割安切符で何度か新幹線のグリーン車に乗ったことがあるが、芸能人やどこかの社長さんたちが・・・。

 個人が、その時々のTPOに併せて選択することが出来ることが大切で、金のあるなしによる選択肢は生活の自由度を狭いものにすると考える。経済社会のシステムとしての資本主義社会を是としている私であるが、選択の自由が狭まることは問題だと考えている。従って選択の幅はより広く、金の力がものをいう特権階級社会があるとしても、基本的な庶民の生活には選択の自由を広げたいと考えている。


●住宅と鉄道

 かなり乱暴な結びつけに思えるかもしれないが、ヨーロッパと日本での鉄道の指定席の考え方の違いが、住宅政策の考え方の違いに現れているように思える。それも公的賃貸住宅の施策については明瞭に区分することが出来る。

 切符を持っている人と持っていない人にサービスを分けてしまう改札口、庶民の日常生活で使えない特権階級のグリーン車、車内混雑に融通の利かない座席指定車、何れも金銭の大小による明確な分離を前提にしている。スペシャル料金を払った人とそうでない人を住戸の大きさや質の違いで分ける方法が前提になっている日本の住宅供給の現状と似ているように思う。特に所得階層の違いで住宅の種類を分けている公的賃貸住宅の政策では、極めて似通った思想が根底にあるように思える。

 利用者にとって、現代社会において鉄道が基本的生活基盤であることは住宅が「衣食住」としての生活の基本であることに匹敵する意味を持っている。だから鉄道が庶民の社会的資産であることは当然であり、特権階級の乗り物ではないことはすでに当たり前のことだと認識されている。その中での改札口の存在は、構内は鉄道会社の物で「金を払った人しか使わせない」という思想があり、グリーン車は特権階級の場として庶民を排除し、単に安心して席を確保するだけの指定席にグレードを導入しようとする姑息な考え方を取るようになってしまっているのが日本の鉄道である。

 住まいについても同様で、社会住宅として市民の生活状態に柔軟に対応できる家賃体系を持った公的賃貸住宅のヨーロッパに対して、日本は入居者の所得の違いによって利用できる公的賃貸住宅の種類を変えている。平成8年の公営住宅法の改正を受けて、平成10年からは廃止される公営住宅の1種、2種の区分も所得階層による住宅の供給区分であったし、法改正で明確化された特定優良賃貸住宅との振り分けも所得階層による区分である。

■公営住宅
 平成8年法律改正
 対象世帯:所得0〜25%
■特定優良賃貸住宅
 平成5年法律制定
 対象世帯:所得25〜80%
 住宅に困っている世帯を対象とした公営住宅のなかで差異をつけてもしょうがないと考えて、1種2種の枠をはずしたのかと歓迎したのだが、実は平成5年に法律となった特定優良賃貸住宅制度との差異を明確につけることで、あまりに狭い範囲でしかカバーできていなかった公営住宅の所得枠を広げたに過ぎず、生活者の立場に立った柔軟なシステムにはならなかった。

 世帯の所得は退職や転職、身体の不具合など、その都度変化する。変化する所得に対応する家賃制度で、生活の浮沈とともに住み続けられることが必要である。平成8年の公営住宅法の改正で、公営住宅についてのみ応能応益家賃制度が導入された。確かに退職しても身体に不具合が生じても住み続けられるのだが、相変わらず所得が増えると住み続けることが出来ない。収入が増えると家賃が民間市場と同じになるだけではなく、追い立てを受ける羽目になってしまう制度になった。ましてや公営住宅の上位階層を対象とする特定優良賃貸住宅の家賃は入居者の生活の浮沈には無関係に、ただ市場家賃に向けて上がり続ける家賃システムなのだ。

 住宅の種類によって施策対象世帯を変えることに関する疑問がある。貧しい人は公営住宅へ、年寄りはケアハウスや高齢者住宅に、若い共働きの賃貸住宅世帯は特定優良賃貸住宅、母子世帯は特定目的の住宅へと区分して供給してきた。制度も法律も違う中で多様な公的賃貸住宅が供給されている。しかし、全て所得や世帯の型に限定された住宅供給であり、世帯の変化に対して無神経である。

 世帯構成は、若い共働きの時代から子育てで経済的にも大変な時期、子供部屋が必要な時期、子育てが終わってほっとする時期、老後の生活と変化する。また、離婚や事故で片親世帯になったり、単身での生活が続く場合もあるし、リストラで職を失う場合もあるし、退職金でゆとりのある生活が出来る高齢者もある。生活は概ね5年から10年で大きく変化する。家族構成も変わるし所得も変わる。今の日本の住宅政策は、その変化に対して転居を義務づけていることになる。賃貸住宅制度に不満ならば、借金をしてでも持ち家を持てといわんかなである。

 持ち家取得の容易な地方では、特権階級のグリーン車にはならないで、ヨーロッパの1等2等の感覚で利用できる持ち家も、都市部では特権階級のグリーン車。借金の無い健全な生活をしたいと考えても公的賃貸住宅での永住ができないのは、住宅政策が生活者の立場に立っていないことであり、公的賃貸住宅は国や地方自治体の物として施策を展開していることで、市民が自らの社会資産として認識出来ないシステムになっている。あたかも改札口で区分している鉄道敷地の管理システムによく似ている。ましてや、生活の事情や所得の変化で住み替えを要請される公的賃貸住宅の居住システムは融通の利かない指定席の考え方と類似している。

 住まいも鉄道も、その国の文化度をよく現していると思う。国の成熟度、国民の社会に対する意識、人が人として生きる豊かさに対する認識の評価を問われているようにも見える。もうすこし柔軟にできれば、もう少し自由になると思っているのだが・・・。

(秋元孝夫)


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