気まま考コラム


国立の駅前に公共の駐車場を整備したのだが利用者がいない問題について一言!!

 国立の大学通の不法駐車を何とかしたいとの思いで作った公共の駐車場が利用されないでいる。

「駅に近いが、道路事情が悪くて利用されにくい」とか「料金を下げようにも民間圧迫になるので」とか「利用者にとっては5分10分のことに駐車場代まで払って停まれない」とか、駐車場を利用されない理由が新聞紙上には説明されていたが、どうも原因は根本的に駐車場整備に対する考え方が整理できていないことがこの結果を生んだように思える。

 写真は、アメリカ西海岸のオレゴン州の最大の都市、公共交通の発達した街ポートランド市の中心市街地にある公共の駐車場。料金は最初の4時間が時間あたり95セント(約100円)、4時間を超えると時間単位が急に上がり3ドルとなり、短時間駐車に優しい価格設定がなされている。『車利用は短時間で、通勤には使わないで!!』と言っているようである。また、1日の最大料金が10ドル(約1100円)で、観光客や遠距離からの出張族にはやさしい設定となっている。そして極めつけは夕方6時以降が2ドルという設定、夕食を楽しみに訪れる人をやさしく受け止める心配りが嬉しい。

 基本的には短時間の利用もしやすくして、通勤には郊外に自動車を置いて公共交通を使うことを促し、遠くからきた来訪者には長時間停めたとしても極端に高くならないシステムで、都心地域へは休日でも出やすくして活気を作りやすくしてあると言うことだ。昼間は仕事や買い物で短時間の都心への車の乗り入れは日常生活の中によくあることで、これについてはとにかく低料金。何れにしても日本と比較するとべらぼうに安い。

ポートランド市の中心街の駐車場

 ポートランド市は、中心市街地に自動車の流入を抑制する交通システムをとっている。路面電車とバスのネットワークで、郊外の駅に駐車場を整備して電車やバスで移動することを進めている。だから国立あたりから新宿まで出るのに1.4ドル(約150円)という安さで、ガソリンや車の消耗などを考えると、公共交通を利用した方が得というシステムなのだ。だから大概は公共交通を利用するのだが、買い物や運搬などに車を使うことはやむを得ないこと、それに対しても安い料金ならば路上駐車をしなくても安心して停められるし、駐車違反も心配ない。

 ようはバランスの問題で、国立駅の不法駐車をなくすには、利用者が利用したくなるような方法をとることが前提になる。民間に気兼ねして駐車料金を下げられないならば、民間駐車場利用者にも補助を出して、300円の所を100円の補助で200円で利用できるようにすればいいし、それでも路上駐車が無くならないなら、さらに料金を安くすればいい。あくまでも駐車違反で取り締まられる危険性と駐車費用とのバランスなのだから、利用者のメリットが生まれれば不法駐車は無くなるはず。

 公共の駐車場を作る前に民間の駐車場利用者に補助を出した方が良かったのかもしれないが、作ってしまった今となってはそうも行かないので、この際、民間も公共も一緒くたで不法駐車撲滅作戦をやればいい。取り締まりを強化するばかりではなく、イソップ物語の『北風と太陽』の噺のように、駐車場の位置で利便性を評価し、駐車料金を塩梅(あんばい)して決めて、不法駐車の無くなる料金体系を確立すれば良い。

 ポートランド市では駐車場は私設公設に関わらず公共のものとして捉えられているが、日本でもそろそろ『公設は民間圧迫だ!!』等と考えず、官民協力して駐車場問題と取り組むべきでしょう。元々、駐車場は公的なもの。全体の交通システムを公共が考えて民間の事業者に整備してもらうなど、PFIという民間の公共施設整備手法も一般化しつつある中で、あいかわらず公と民が対立した構図では、今後の街づくりが懸念されてやまない。

1999.09.18(Ver.2) takao@akimoto.com

 

 先だって発表された車椅子対策の切り札?

 ホームと電車を渡すプレートを首都圏60駅に配備する話しも、「車椅子利用者に朗報」のように報道されているが、結局、駅員の労力の軽減措置であり、今まで電動車椅子の重いのを二人懸かりで持ち上げていたのを一人で出来るようにしただけのもの。相変わらず車椅子の自由な利用を前提にしたものではない。

 理想はノーマライゼーションなのだから

 高齢者についても障害者についても、公共施設を自由に利用できることは最低の権利であり公共側としては基本的な義務である。その義務が小手先の設備でお茶を濁され、無駄な大金を使うエスカレーター設置で、さも「バリアフリーに努力しています」と言わんばかりの様子。

 高額なエスカレーターではなく、簡易なエレベーターで十分だ。エレベーターはその都度利用者の要求したように上にも下にも動くし、車椅子だって高齢者だって大助かりだ。電車とホームとの間はアメリカ合衆国オレゴン州ポートランド市の市電で採用されている車椅子用出入口のシステムを導入すればいい。電車の出入り口の下部が延びてホームと連結する方法で、5センチくらいの段差にスロープを造る。こうした出入り口が最低でも決まった位置に1カ所あればそれで良い。「ホームと電車を渡すプレート」を60駅に配備するのか60台の車両を改造するのかの話で、ポートランド方式は駅員のサポートが不要だし、基本的に理想的なノーマライゼーションが可能になる。

 人の手を借りないで生活できる社会システムが大切だ。とはいえ、街をゆく車椅子をサポートする目や、視覚障害者を誘導する人々、障害者や高齢者に対するの思いやりや気持ち無くしてはノーマライゼーションの確立は困難。しかし、基本は見守られていながらも自立して生きることが出来る環境を整えることで、自らが独自の意志と行動力で社会参加できる環境整備が基本であり理想なのだ。理想を追い求める手段としては着実な積み上げが欠かせなく、無駄な社会投資を繰り返してはならない。中途半端なその場しのぎの行為は社会的な悪である。一歩でも良いから理想を実現し、積み重ねることで理想社会が生まれるように仕組みを整えることが大切だ。

 小手先の対応は悪である。

(takao@akimoto.com)

 


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